「私達、別れましょう?」

俺は走って戻ってきた。
夜中だというのに何故か談話室に彼女はいて、俺が大してその事は深く考えず強く抱きしめると抱きしめられたまま彼女の綺麗な口はそう告げた。
彼女は何を言っているのか。
もしかしたら気が狂ってしまったのかも知れない。
いや、気が狂ってるのは俺の方か?
とにかく、今の自分には到底理解出来ないししたくない言葉だった。
別れるだなんて嫌だ。
今まで俺が離れようとしても泣いて縋ってたっていうのに突然向こうから離れていくだなんてそんな、ありえない。

こんなのおかしい。間違ってる。
寮に戻ったら一番に彼女の色談議を聞くはずだったのに。

「シリウス、私、疲れちゃったのよ」

一言一言、聞き間違える事のないようゆっくりと、丁寧に、まるで音読の手本のように音を紡ぐ。
その声音からは全く感情が読み取れない。
しかしその声が何処か掠れているように聞こえたのは気のせいか。

「…ねぇよ……意味わかんねぇよ……」
「違うわシリウス。貴方は意味も理由も分かってる。ただ、理解したくないだけよ」

そうだ。彼女の言う通り。
何故別れたいか、など明白だ。
俺が浮気ばかりしているから彼女は嫌になったんだ。

「わかった。今まで関係があった女とは全員縁を切るよ」

今度は俺が行くなと縋る番か、そう思うと惨めだったが彼女がいなくなるよりはマシだ。

なぁ、こう言ってほしくてこんな事を言ったんだろう?
そうだと言ってくれ。

俺の思いを余所に彼女はゆっくりと俺の胸板を押した。

「シリウス、シリウス。よく聞いてね。これから先、きっと貴方は沢山の女の子と付き合う事になると思うわ。でもね、絶対に私みたいにしてはいけない。このままじゃシリウスは独りになっちゃう」

――止めてくれ、お願いだから止めてくれよ。

違う、こんな風になりたかった訳じゃないんだ。
彼女が柔らかく俺の名前を紡ぐ度に彼女がどれだけ俺の事を思っていてくれたのかひしひしと伝わって来た。

「シリウス、ちゃんとこっちを向いて」

押された時のまま胸に宛がわれていた両の手がすっと頬の辺りまで上がって来て俯いていた俺の顔を上げさせる。
目を合わせた事により彼女の瞳になんとも情けない顔の自分が映った。

「なんて顔してるのよ」

本当に仕方のない人ね、と眉を八の字に曲げて微笑んだ。

「…なぁ、俺、別れるなんて嫌だよ。ちゃんとするから、浮気なんてもうしないし、お前が言うなら女とだって喋らない……だから……」
「シリウス」

名前を呼ばれたと思った瞬間、唇を塞がれて言葉を発せなくなった。

「もう終わりなの。最後ぐらい綺麗に終わらさせて」

今だに頬に添えられている手は微かに震えていた。
叱咤してしまわぬよう、泣き出してしまわぬよう、必死に堪えているのだ。

「今までごめん……」
「うん、じゃあ私の最後のお願い、聞いてくれる?」

軽く一度だけ頷いた。
あれだけの事をしてきたのだからどんな酷な事でも受け止める、そう構えていたのに言い渡されたお願いは予想外の物だった。

「色んな人に会って、色んな事を学んで、良い奥さんを見付けて、子供も作って、それで幸せになって」

すっと滑らかな肌をした手が離れてゆき、小さくさよならを告げて階段向こうの女子寮に消えてしまった。
俺は追い掛ける事も何にも出来なくてただそこに立ち尽くした。
別れて今更ながらに一緒にいた頃の想い出がまるで一枚のフィルムのように頭の中で再生される。
あのソファー、よく二人で寄り添って本を読んだっけ。でもどんなに面白い本でもあいつの隣って凄く気持ちよくて気が付けば寝てしまっていていつもあいつに笑われた。
ジェームズ達と床に『我ら悪戯仕掛け人』って悪戯書きした時、タイミング悪くリリーとあいつに見付かって怒られるかと思ったら二人とも一緒になって書いてた事があったな。

暖炉の前、初めてキスした場所だ。
誰もいないからチャンスだと不意打ちでキスしたあとのほんのり赤く上気したあいつの頬が妙に可愛くて、初めてだったから下手くそだったけど何度も唇を合わせあった。

全て懐かしい。
あの輝かしい日常を何故俺は捨ててしまったのか。

燃え尽きる直前の微かに揺らめく暖炉の炎を見詰めて、静かに涙を流した。





一緒だった空間が消えた。
目の前に君がいない
 

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