父親がいた場所を見て、また自分の手を見た。
何処からどう見てもただの子供の小さな可愛らしい手。
この手で人を一人消してしまったと言って、誰が信じようか。
恐らくこんなご時世にそんな冗談は止せ、と軽くあしらわれるだろう。
先程からこの行為を繰り返しているのだが、少女は未だに状況が掴めずにいる。
自分が少々特異という事は知っていた。
でも、どんなに賢くとも小さな少女にはこんな事は受け入れ難い。
先程の事は本当に自分がやったのか?
悪魔か何かが乗り移ったんじゃないのか?
だって私が実の父親を殺すだなんてありえるはずがない。
そうやって自分に言い聞かせてみてもこの状況で父親を消せるのは自分だけ。
「…ん……」
そうこうしている内にバラッドに突き飛ばされて気を失っていた母親が目を覚ました。
「あれ、わたくし……?あら?バラッドさんは?」
額から流れ落ちてくる赤い物体。どうやら頭が切れてしまったらしい。
血が足りないせいか、頭を強く打ったせいか、将又両方かのせいかくらくらする頭をなんとか持ち上げ周りを見渡してみたが先程までこの場にいて自分を突き飛ばしたはずのバラッドがいない。
少女に視線を向ければ俯いたまま答える。
「お父様は…恐らく私が消しました。」
家の当主がこんな子供に消される訳がない。何を言っているんだ。
冗談など言わない子なのに何故そんな事を・・・。
返事に困っていると少女の方が話し始めた。
「私、お母様が突き飛ばされて頭から血が流れてたし、死んじゃうんじゃないかと思って・・・それで、それで気がついたらお父様がどんどん消えていって・・・・・・」
母親は漸く状況を呑み込めた。
この子は怒りのあまり魔力を暴走させてしまったのだ。
「ねぇ、お母さん・・・これで・・・・これで良かったんだよね?」
少女は顔を引き攣らせつつも笑顔を作ろうと努力する。
これで母は救われたのだ、自分は何も悪いことなどしていない。
「あな…た…?嘘でしょ?」
状況は呑み込めても、それを受け入れる事は難しかった。
バラッドはそうでなくともバラッドの事を本当に愛していた母親は尚更だ。
「お母さん・・・」
「嘘だ・・・」
少女の呼び掛けは最早母親の耳には入っていない。
ひたすら耳を塞いで自分に言い聞かせるように嘘だと呟き続ける。
一向に自分の話を聞いてくれない母親に痺れを切らし、肩に手をかけようとした途端に母親が人の物とは思えない声で叫んだ。
「・・・・・・あんたが殺したんだ・・・人殺しい!」
「そんな・・・私は・・・・・・」
少女はこれ以上言って欲しくない、と目に涙を浮かべながら頭をふるふると振った。
助けを求めるように手を伸ばす。母親なら父親と違って自分の手を掴んでくれると信じて。
だが、バラッドの死に何も見えなくなっている彼女にそんな願いは通じるはずもなかった。
「近寄るな!"化け物"が!!」
狂ってしまった母親は先程のバラッドのように少女に杖を向ける。
少女にそこからの記憶はない。
気が付けば周りはただの更地になっていた。
8年間程寝食を共にした両親も、家の全てを見守ってきた屋敷も、直ぐそこにあった町も、ただ唯一存在を否定せず無干渉でいてくれた雲ですらもなかった。
そう、何もなかった。
訳が分からず、ただそこに立っていればガチャリと聞きなれぬ金属音が響いた。
「・S・、貴様を大量殺人の罪でアズカバンに強制送還する」
その言葉に漸く先程の金属音は自分に掛けられた手錠の音だったのだと気付く。
それに驚くでも、恐怖するでもなく手を少し動かすだけでもジャラジャラと耳障りな音を奏でるそれをじっと見つめた。
じゃらん、じゃらん……―――
突然現れた大人達、なんでも自分をアズカバンに送るのだと言う。
何故?
そうだ私は父親を殺した。
記憶はないが、きっとあの後私は母親を町ごと吹っ飛ばしたのだろう。
大人しく魔法省の役人達に連れられ、アズカバンに向かった。
アズカバンという所は本当に何もない所で、私は独り鉄格子の中で一日中座りこむしかなかった。
細い腕に掛けられた重たい鎖が砂っぽい渇いた地面に擦れて砂埃を立てる。
砂埃が上がるのが見えるのは光が差し込んでいる証拠。
しかしその唯一の光が差し込む窓は遥か上にありどんなに背伸びをしようともまず届かない高さだ。
私はそれを見て光は自分とは無縁のものなのだと感じた。
周りを見渡せば遠の昔にディメンターのキスにより魂を奪われたのか、将又長く此処にいる内に魂がなくなってしまったのかは分からないが死んだように壁に凭れる囚人達が沢山いる。
何を話しかけても返事が返って来る事はない。
それはこの半年間でよく学んだ事だ。
初めの内はまともに会話出来る人もいた。いや、あれをまともと呼べるのかは定かではない。
ただ只管にヴォルデモートの功績を称え、叫び続けていたのだから。
狂ったように叫び続けた闇陣営の人達は私の紅い瞳を自分達の主のそれと勘違いしたのか驚喜と恐怖の入り混じった奇声をあげて、数日後には周りと同じように果てていった。
何故私だけこうして平常でいられているかって?
平常に見える?自分の頭を地面に打ち付け、自分の骨を自ら折っているような子供を平常だとでも言うの?
この姿を見ればきっと誰もが目を反らす。
頭を強く打ち付けたせいか額から顎にかけて垂れていた血は乾ききっていて手で触れればパラパラと剥がれ落ち、視線を手に下ろせば指はバラバラな方向を向き、いくつか皮膚から骨が飛び出してしまっているのが見えた。
感情の向ける先がなくて壁を殴ったら栄養の足りていない骨はあっさりと折れた。人とは脆い物だ。
無闇に掻きむった皮膚からは肉が見え、今にも虫が湧きそうで痛々しい。
『悲惨』
今の自分にはそんな言葉がピッタリだと思う。
そう、私だって廃人寸前なのだ。いっそ廃人になれてしまえばどんなに楽か。
地面に肢体を投げ出す腐りきった大人達を見て、廃人になる事を恐怖しない事もない。
だけど一度廃人になってしまえばあの人達のように何も考えなくてすむようになる。
もう何も考えたくない。
でも神はそんな事許してくれないらしい。
忌々しいことに思考は未だに此処にあり続けている。
恐らく罪の意識が私を現実世界に引き止めているんだ。
ぼうっとしながらもいつものように意味のない思考を巡らせていれば珍しい事にこの監獄に人の足音が響いて来た。
吸魂鬼はズルズルという絹擦れの音だけで足音なんてしないし、新しい囚人が入って来たのだとしても囚人は裸足のはずだからこんな硬質な音はしない。
ならば視察に来た役人か。
まぁ役人はただ囚人をある程度見回して顔をしかめて帰って行くだけなので来ようが来まいがはっきり言って自分には関係ない。
だが、今回は違った。
役人とは少し変わった奇抜な色のローブを纏った髭の長い老人。
金持ちが老後の生活に飽きて持て余した金を使って囚人でも見に来たのか。
「君が・S・かね」
疑問形ではあるがこれは断定だろう。
軽く視線だけ向けてやれば問い掛けて来た男は朗らかな笑顔を浮かべて自己紹介をした。
「わしの名はアルバス・ダンブルドアじゃ」
ダンブルドア…どこかで聞いた名だ、などというどうでもいい思考は彼の次の言葉で打ち消される事になる。
「君を助けに来た」
老人が私に向かって差し出した手の中には小さな飴玉が乗せられていて、私は無言でそれを受け取った。
「看守にはばれぬようにな」
悪戯っぽくウィンクする老人と小さな飴玉を少しの間見比べ、飴玉の包みを解いて余り開く事のない口に放り込んでみた。
綺麗な黄色をしていたそれはレモンキャンディーだったらしく口の中に甘酸っぱさが広がる。
人に微笑みかけてもらったのなどいつ以来であろう。
私の瞳からは、自然と涙が零れ落ちていた。
偽善って大嫌い。
でも、レモンキャンディーは好きよ。
2008.06.29.SUN 朔